高度な情報化社会への過渡期とも呼べる今、様々な知識や技術を身に付け自身の価値を高めていくのは紛れもなく人生の王道攻略法でしょう。しかし豊かに暮らすための道は本当にそれしかないのでしょうか。怠惰で要領の悪い人間が小難しい努力をせずに人並みの幸せを感じて暮らすことはできないのでしょうか。本著はその問いに対する私なりの回答を記しました。
※本記事は書籍の内容をWebサイトでの公開用にフォーマットし直しているため枠や色合い、文章の改行部分など書籍とは少々異なる部分がございます。
はじめに
本著を手に取って頂きありがとうございます。著者のオーニシです。私はこれまで技術系のノウハウサイトや技術同人誌、ビジネス本を執筆してきました。いずれも私がこれまで学んできたことや身に付けてきたことを書き留めたり、まとめたりして知識を整理するとともに、必要になった時に取り出しやすくするための記録としても活用しています。
これらは現在や未来の自分のために執筆したものでもありますが、私と同じように知識や技術を身に付けたいと思っている方の手助けになれば良いとも思っています。
知識や技術は人生の選択肢を増やしてくれる便利なツールですが、今回は別の角度から選択肢を提案してみたいと思います。というのも技術書や実用・実学書をガリガリ読み進められるほど勤勉な方は常に豊かになるための素養を整えているので、何かの拍子にうまくいく可能性が高いと思うのです。では特別な才能もないのに勤勉さすら欠けている人はどうすればいいのでしょう。怠惰であることは、何の幸せも感じられないまま貧しく虚しく暮らさなければならないほど悪いことなのでしょうか。
高度な情報化社会への過渡期とも呼べる今、様々な知識や技術を身に付け自身の価値を高めていくのは紛れもなく人生の王道攻略法でしょう。しかし豊かに暮らすための道は本当にそれしかないのでしょうか。怠惰で要領の悪い人間が小難しい努力をせずに人並みの幸せを感じて暮らすことはできないのでしょうか。本著はその問いに対する私なりの回答を記します。
想定する読者層
- 何かに夢中で打ち込んでいない人
- 生涯かけてやり遂げたいことが特にない人
- 一生懸命生きることに疲れた人
- 他人との競争に疲れた人
- 人生頑張りたくない人
- 意識低くだらだら暮らしたい人
- 自分がダメ人間だと自覚している人
免責事項
本著の執筆にあたり事実についてはできるだけ正確を期すように努めましたが、筆者が内容を保証するものではありません。よって本著の記載内容に基づいて読者が行った行為、及び読者が被った損害について筆者は何ら責任を負うものではありません。
不正確あるいは誤認と思われる箇所がありましたら、電子版については必要に応じて適宜改訂を行いますので筆者までお知らせいただけますと幸いです。
第1章 日本の現状を知ろう
本著の出発点として
- 日本が貧しくなっていること
- 私たちが勤勉でなく、特別な才能も持っていないこと
を認めてしまうことを念頭に置きます。
私たちに特別な才能があれば今頃あちこちから引っ張りだこで、こんな本を読んでいる(書いている)ヒマなどありませんし、勤勉であれば自身の専門分野に関する論文や技術書、学術書を読んでいるはずなので、やはりこんな本は手に取りません。
日本は貧しくなっている?
「日本が貧しくなっている」という点については何をもって「貧しい」と定義するのか、何を基準とするのかによって変わってきますが、現在の日本においてよく用いられる「普通」の基準は今の40代後半以上、つまり「高度成長期やバブルを経験してきた世代」の価値観ではないでしょうか。少なくともこの頃と比べて、国際的に見た日本の相対的な経済力が低下していることは確かです。
諸外国が経済成長し、給与水準が上がっていく中で日本だけ実質賃金が低下していけば、輸入している外国製品や外国の工場で製造している商品を買うための負担は大きくなっていきます。
▲実質賃金指数の推移の国際比較
出展:OECD.statより全労連が作成
グローバル化が意味するもの
「俺は一生日本で暮らすから関係ないんじゃー」という人もグローバル化の波からは逃れられません。今や日本で生活するにも家具や衣服、工業製品など外国の製品なしでは成り立たないのですから。
そもそも原油はほとんど輸入なのでガソリン価格は他の国々との相対的な経済力に左右されます。ガソリン代が高くなれば飛行機や船、トラックなどの運送費用が上がるため、あらゆる商品の輸送コストが上がります。あなたの近所のスーパーにおいてある牛肉や白菜や大根も、それを運んでくるトラックなしには店頭に並びません。
▲我が国の暮らしと輸入依存率
出展:公益財団法人 日本海事センター
完全な純国産製品のみで生活するのはほぼ不可能ですし、仮にできたとしてもよほどのお金持ちでなければ難しいでしょう。あなたが国産のパソコンを使っていたとしてもそれに使われている部品が外国製であれば、日本との相対的な国力によって原価が変動し、それは価格に反映されます。
あなたが一生日本で暮らすことを固く決意していても、諸外国と比較して日本が貧しくなっていけば多くの日本人の生活は苦しくなっていきます。
日本の人並みの生活の変化
昭和中期~後期は「我慢」が豊かに暮らすためのほとんど唯一の条件でした。どんなにひどい扱いを受けても、辛くても苦しくても、とにかく会社に居続けることができれば年齢と共に給料が上がっていき、人並みの生活を送ることができました。
「東洋の奇跡」とも呼ばれる空前の好景気、人手不足で労働者は引っ張りだこ、日本の法律上どんなに無能であっても正社員を解雇することは難しく、さらに今と違って派遣労働や非正規労働が厳しく規制されていたためです。
「人並み」と言っても「高度成長期やバブルを経て世界最大の経済規模をアメリカと競い合った日本」の人並みは、世界でも群を抜いて裕福でした。
平成に入りバブルが崩壊、当初「失われた10年」と呼ばれた経済低迷が始まると会社に居続ける以前に会社に入れない就職氷河期が到来し、「我慢」だけでは以前のように暮らしていくことが難しくなります。氷河期は10年以上にもわたり、さらにその後社会から何のバックアップも受けられなかったため、意欲はあってもスキルや実務経験を積むことができなかった30~40代の非正規労働者が大量に溢れることになります。
氷河期世代を犠牲にしたことでその後の新卒者は例年通り採用され、日本経済も一旦持ち直したかに見えたものの、凋落はここでは止まりませんでした。第二次氷河期世代の到来です。この頃には日本の経済低迷は「失われた20年」と呼ばれ始めていました。
最近では「失われた30年」とも叫ばれ始め、日本経済が不景気や一時的な経済低迷ではなく衰退途上にあることが認識され始めた今、かつて「普通」の代表例として親しまれたクレヨンしんちゃんのお父さん、野原ひろしのような暮らしができるのはごくごく一部の人だけです。だったらいっそ、凡人の我々はそんな生活は諦めてしまって、貧しくだらだら幸せに暮らす方法を模索してみるのも1つの選択肢なのではないでしょうか。
第2章 貧しく豊かな生活の提案
この章では本著のタイトルにもなっている『貧しく豊かに暮らす方法』について、その骨組みを考察します。一見矛盾するようにも見えるこのタイトルですが、そもそも『豊かさ』とは何なのかを考えることによって糸口が見えてきます。
優秀な人がお金を稼げるとは限らない
第1章では『我々が勤勉でなく、特別な才能も持っていないこと』を念頭に置きましたが、それは必ずしも我々が『優秀ではない』ことを意味するものではありません。少なくとも私はそう考えています。一言に『優秀』といっても人間には様々な能力があり、それは必ずしも『お金を稼ぐ能力』に秀でていることを意味するとは限らないからです。
偉大な発明家であるエジソンは誰もが知るところでしょう。彼は研究所で電話、蓄音器、電気鉄道、鉱石分離装置、電灯照明などを次々と商品化し、巨万の富を築きました。しかし同じ時代に生きた発明家、ニコラ・テスラを知る人は多くはないでしょう。
直流送電を用いて白熱電球を改良したエジソンに対し、交流の発電と送配電の技術を発明したテスラは、電力を一般に供給するのに直流と交流のどちらが適しているかで対立します。現在全世界のコンセントや電車などで交流送電が採用されていることからもわかる通り、この『電流戦争』の勝者はテスラ陣営でした。
これほどの偉業を遂げたにもかかわらずテスラは常に研究資金が不足していたといいます。加えて潔癖症だったテスラは単身ホテルを転々とする生活を送り、最後は独身のまま孤独死します。
17歳にして自分の仕事を自動化して寝ながら給料を受け取り、22歳には特許を取得した株式相場表示機を4万ドル(現在の日本円で約2億円)で売り払い、42歳の時にはJ・Pモルガンから巨額の出資・援助を受けて現在のゼネラル・エレクトリックを設立したエジソンとは雲泥の差です。
エジソンが巨万の富を築きテスラがそれほど裕福に暮らせなかったのは、エジソンの方が圧倒的に優秀な人間だったからでしょうか。私はそうは思いません。この2人はどちらも傑出した才能を持つ優秀な発明家でしたが、ビジネスマンとしても優秀だったエジソンに対し、テスラはビジネスや世渡りの能力に欠けていたのです。
エジソンとテスラの例に見られるように『お金を稼ぐ能力』と『何かを発明する能力』は別個のものです。稀代の天才と言われるテスラでさえそうなのです。私やあなたの能力が他人より少しばかりお金を稼ぐことに向いていなかったとしても何も恥じることはありません。
豊かさの定義
我々がお金を稼ぐ能力に欠けているとして、現代社会で豊かに暮らしていくことはできないのでしょうか。結論から言えば周りと同じようにお金を使って暮らしていくことは難しいでしょう。
一般にお金はたくさんあるほど豊かです。お金があれば大きな家、美味しい食べ物、素敵な服、カッコいい車、お菓子、おもちゃ、アクセサリー、宝石、何でも手に入ります。働かなくてもいいし、働いてもいい、赤字を気にせず趣味でお店を経営してもいいし、海外にボランティアに行ってもいい、寝たい時に寝て、起きたい時に起きてもいい自由が手に入ります。
では豊かに暮らしていくには必ずしも周りと同じくらいのお金が必要なのでしょうか。そもそも豊かさとは何なのでしょうか。お金だけによって定義されるものなのでしょうか。大量のお金がなければ豊かさは得られないのでしょうか。
Google先生に聞いてみると次のような解答が得られました。
この定義によると、豊かに暮らすには必ずしもたくさんのお金は必要なさそうです。いくら以上あれば豊か、といった金額が画一的に決まっているものではなく、あくまで自分にとって不足していないこと、自分自身が満ち足りた状態であること、という一人ひとり基準の違うものであることがわかります。ここに私たち怠惰マンの活路を見出すことができるのではないでしょうか。
もちろん完全にお金と関わらずに生きていくことは現代社会ではほとんど不可能でしょう。しかしたくさんのお金を稼がなくても、それどころか人並みの収入がなくても、『豊かに暮らす』ことはきっと可能です。
頑張らずにだらだら暮らすという選択肢
極端なことを言ってしまえば個人の人生における大局的なお金の戦略は「たくさん稼いでたくさん使う」か、「あまり稼がずあまり使わない」の2択です。無論、たくさん稼ごうとすれば人よりもお金を稼ぐ能力に秀でるか、強運の持ち主である必要があります。生まれつきお金持ちという人も世の中にはいらっしゃいますが、そうでなければ稼ぐか宝くじでも当てるしかありません。
▲絶対に働きたくないと豪語するニートの化身
我々は怠惰なのでお金を稼ぐ能力を磨くことはできません。会社に勤めながら大学の夜間コースに通ったり、職業訓練を受けたり、自主的に資格の勉強などしようものなら死んでしまいます。
収入が増やせないのであれば支出を減らす方向で考えてみるのはどうでしょうか。おっと、何も限界まで切り詰めて霞を食って暮らそうというわけではありません。第一それでは『豊かに暮らす方法』とは言えません。あくまで我々が不足を感じず、満ち足りていることが大前提です。
世の中には「月収30万円では生きていけない」という人もいます。最初は比喩だと思っていたのですが、中には本当にそう信じ込んでいる人がいることを知って驚きました。月○○万円では暮らせない、果たして本当にそうでしょうか。今、あなたが1か月間無理をせず生きていくのに必要な金額を想像してみてください。想像したら紙やスマホにその金額をメモしてから、次のページを開いてください。
では質問です。『その金額の内約を説明できますか?』
即答できなくても構いません。内約を言える方は本当にその金額が必要なのかもしれません。ですが、内約を言えなかった方は自分が何にいくら使って生活しているのか把握しないまま、なんとなくの貧しさを感じているのではないでしょうか。もしかするとどうでもいいことに度々お金を使っているのが積み重なって結構な金額になっているかもしれません。
ちなみに私が最低限無理なく生活していくために必要な金額は手取りで月11万8000円です。詳しくは次の章で話しますが、これで2年以上(記録を取っていない時期も含めるとおそらく5年以上)一人暮らししていたので無理のない金額だったと言っていいでしょう。
もちろんこの金額は人それぞれ異なりますが、これよりも圧倒的に多い金額を答えた方は生活水準が少しばかり贅沢になっているかもしれません。(家族で暮らしている方は人数が1人増えるごとに1人暮らしの時の50%の金額を足すと良いと思います。つまり2人家族なら約18万円、3人家族なら約24万円あればとりあえずは生活していけると私は考えています。)
第3章 お金の基礎知識
少ないお金で暮らすといってもお金は必要です。むしろ少ないお金で暮らすからこそ、お金の本質はしっかり捉えておく必要があります。この章では我々が生活していくうえで欠かせないお金について、最低限の基礎知識を解説します。
That’s a very helpful observation.